「私は必要とされているのかしら」

瞑想は好きだけど、なかなか進まない大沢です。

今日届いた、瞑想の師匠 宝彩先生のメルマガ。
なんか、心に響いたな~。

みんなにもシェアーしますね。

「私は必要とされているのかしら」

自分の存在意義を、
人から必要とされることに求めてはなりません

誰かに必要とされていると、
生きている意義を感じます。

しかし、誰かに必要とされたり、
認められたりすることで、
自分の存在意義を確認しようとしてはいけません。

他人が自分を必要としてくれたり、
認めてくれたりするのは、
あくまで他人の都合です。

ですから、その都合が変われば、
必要としてくれたりすることも変わります。

非常に不安定です。
つっかえ棒を人に立てているようなものです。
はずされると倒れてしまいます。

自分の存在意義は、
自分自身の中に見つけましょう。

一番簡単な方法は、
「私は私のために生きている」
と言ってみることです。

すると自分が安定するのがわかります。

その安定した状態からこそ、
本当の愛が出せたり、
奉仕ができたりするのです。

その結果として、
他人から必要とされたり、
認められたりすることもあります。

でもそれは、その時その時の相手の都合ですから、
それを当てにしてはいけません。

また、認められないからといって、
気にしてはいけません。

たとえば、
相手にはすぐに理解できない深い深い愛を出している、
ということもあるのですから。

宝彩有菜のメールマガジン第261号より

■ 宝彩有菜のホームページ

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