やすらぎの里総合トップページ

口コミで人気の伊豆の断食道場・宿泊施設
日常を離れて、健康的なダイエットや食生活、体質改善に効果
温泉とマッサージがついているので、楽しく断食ができます。

トップ |  やすらぎの里について |  代表から |  断食について |  人気の秘密 |  利用案内 |  アクセス 

ご予約・お問い合わせ

やすらぎへの道・4「病からの学び」

「かみさんが倒れた!」

2006年4月19日は、
高原館のオープンの準備で、忙しい最中でした。

「ちょっとなんか変なんだけど、どうしよう・・・。」
かみさんから電話がかかってきました。

いつもと違う口調に、
これはただ事じゃないと思い、すぐにスタッフに、
かみさんのところに駆けつけるように電話しました。

しばらくすると、スタッフから携帯に電話が入りました。

「様子が普通じゃないので、
救急車を呼んだ方がいいと思います」

「それじゃあ、すぐに手配してくれ、
ぼくもそっちに向かってるから、もうじき着く」

急いで、自宅に向かう車の中で、
いったいどうしたんだ、
今日、出かけるときは、普段どおりだったのに。

どうか、命にかかわるような病気ではないように。

祈るような気持ちで、車を飛ばした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「救急車で病院へ」

やすらぎの里に着くと、玄関先に救急車が止まっていた。

すぐに救急車に駆け込むと、
かみさんが救急車のベットで横になっていた。

意識はあるが、苦しそうで、
ときどき、もどしそうになる。

頭痛があるのと、吐き気がひどそうだ。
さらに左半身が、うまく動いていない。

「血圧は高くないですか?
高脂血症ではありませんか?
糖尿病ではありませんか?」
救急隊員から質問をされる。

「血圧はいつも低すぎるくらいですし、
中性脂肪もコレステロールも低いくらいです。
血糖値も低いです。
検査では、たまに貧血でひっかかるくらいです。」

私もたくさんの患者さんを診ているので、
この、かみさんの状態を見ればわかる。

脳血管障害(脳卒中)の可能性が高い。

しかし、かみさんに限って、
脳血管障害なんて・・・。

まさか・・・。

しかし、
この症状は、典型的な脳血管障害の症状だ。

よく動かない、かみさんの左手を握り締めて、
無事に病院につくように祈った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「脳出血」

病院に着くと、処置室に運ばれて、
すぐに検査が始まった。

脳のCT検査の結果、
脳内に出血があるのが確認された。

まさか、
と思っていたことが現実となる。

せめて、くも膜下出血でないことを祈った。

くも膜下出血は、死亡率が高く、
脳血管障害の中で、もっとも危険な疾患だ。

しばらくして、
脳外科の先生に呼ばれた。

「脳内に出血がありますが、
出血量が少ないので、手術はしないで、
様子を見たいと思います」

「くも膜下出血ではありませんか?」

「いいえ、違います」

よかった、と思ったのも、つかの間、
すぐに次のような説明がある。

「ただ、一度出血した後、すぐに再出血する場合があり、
そうなると、危険な状態になります。
一応、家族の方を呼んでおいた方がいいでしょう」

すぐに子供に連絡をとり、
かみさんの実家の両親にも電話した。

検査が終わると、病室に運ばれ、
たくさんの点滴と酸素マスク、心電図モニターがつけられた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「検査の結果は」

すぐに脳外科の医師に呼ばれて、
病状の説明があった。

「奥さんの病状は、
もやもや病による脳出血だと思われます」

「脳の血管造影をしてみないと確定できませんが、
たぶん間違いありません」

“もやもや病”は、
正式には「ウィリス動脈輪閉塞症」という。

脳底動脈が狭窄して、脳の血流が不足するため、
その周りの細い血管が異常に発達して、
たばこの煙のようにもやもやした状態なる。

子供は一過性の脳虚血で発症するが、
大人は脳出血で発症することが多い。

アジアの女性に多く、その中でも、
特に日本の30~40代の女性に多い。

そのとき、かみさんは39歳、
まさに、典型的な発症例だった。

病気の原因は、今だ不明で、
先天性の血管奇形という説や
生後になんらかの原因があるとする後天説がある。

兄弟や親子間での発生が約10%弱と多いことや
日本人に多く発生することなど遺伝的な要素もあり、
現在では遺伝子で規定された要素に、
何らかの後天的要素が加わって発病する説が有力だ。

歌手の徳永英明さんが、
この病気になって、世間に知られるようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「病室で誓う」

かみさんが落ち着いて寝た頃に、
子供たちが着いた。

子供たちは、目の前にいるのが、
母親だというのがピンとこないようだ。

「いいか、お前たち、
今日は、お父さんここに泊まるから、
お前たちは家で留守番たのむぞ」

とまどったような、
少し淋しそうな顔で、
「わかった・・・。」と、うなずいた。

その夜は、ときどき苦しそうにするかみさんの横で、
一晩中、心電図モニターを眺めながら夜を明かした。

朝になって目を覚ましたかみさんは、
自分のことよりも、子供たちの心配をしていた。

「大丈夫、子供たちは、しっかりしてるから」

「疲れがたまっていたんだ、とにかくゆっくり休もう」

そう言って、頭をなでてあげると、
「ごめんね、心配かけて・・・。」
そう言って、涙を流した。

そんな、けなげな姿を見て、
どんなことがあっても、
どんなになっても、
こいつを守っていこう、

そう心に誓った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「病院と仕事と」

それからしばらく、
自宅と職場と病院をはしごする生活が続く。

普段の仕事に、高原館の準備、
子供のお弁当を作り、学校への送り迎え、
病院へ行って、夜遅く、洗濯・・・。

高原館のオープンを間近にひかえて、
忙しさはピークを迎えた。

入院して一週間くらいすると、
だいぶ体調も安定してきた。

出血が少なかったので、
重い麻痺は出なかったものの、
左手と左足がスムーズに動かない。

早い段階で、リハビリを中心にした、
温泉病院への転院を勧められた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「リハビリ病院へ」

転院は、ゴールデンウィーク中の5月2日、
高原館のオープンの翌日だった。

転院先は、自宅から車で40分ほどの、
中伊豆温泉病院。

脳血管障害やリウマチ、事故の後遺症など、
リハビリが必要な方専門の病院だ。

それまで入院していた総合病院に比べると、
緊急な処置を必要とする人がいないので、
のんびりしていて、いい雰囲気だ。

同室には、同年代の主婦の人や、
同郷の年配の方がいて、
かみさんも喜んでいる。

少し遠くなったので、
週に一度しか会いに行けなくなったが、
ここなら安心して任せられる気がした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「退院の日」

それからは、週に一度会いに行くのが、
ほんとうに待ち遠しかった。

一日一度、電話がかかってきて、
その日の調子や、いろんなことを聞くのが、
日課になった。

普段の生活は、仕事や子供の世話、
お弁当の準備、洗濯・・・。

忙しい毎日が続いたが、
かみさんの元気になっていく声を聞くと、
なんとか、がんばることができた。

温泉病院のリハビリの効果か、
かみさんは、めきめき回復してきた。

車椅子で入院したのが、
2週間位で歩けるようになった。

3週間目には、外出も許可されて、
外に買い物にもいけるようになった。

いろんなことができるようになると、
かみさんも家に帰りたいという気持ちが強くなる。

何もできなくても、かみさんが家にいてくれるだけで、
家族に笑顔が戻ってくるような気がした。

入院して1ヶ月半位経ったところで、
主治医に退院の相談をしてみた。

以外にあっさりOKが出て、
退院は6月末に決まった。

かみさんが帰ってくる、
また、家族みんなで一緒に暮らせる、
そう思っただけで、うきうきしてきた。

退院の日は、
気持ちのいい青空が広がる日だった。

病院のみなさんに、
何度も何度もお礼を言って、
1ヶ月半、お世話になった病院を後にした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自宅に戻る」

自宅に戻ると、つい無理をして、
体調を崩すときもあった。

しかし、何度もそんなことを繰り返すたびに、
昔と同じではないんだ、
今は、このからだと付き合っていくしかないんだ。

そう、割り切るようになってから、
体調もだいぶ安定してきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「病からの学び」

かみさんが病気になって、
かみさんも私も、
ずいぶんいろんなことを学びました。

病気になっている人の辛さ、
病人を抱えている家族の辛さ。

そして、それ以上に、
生きているということのすばらしさを。

毎日、朝起きて、
ご飯を食べて、仕事して、
家に帰って、家族と一緒に過ごす。

そんな普通の毎日が、
どれほど、かけがえのない、
幸せなことなのか。

“有り難い”

生きているということは、
当たり前のことではなく、
有り難いことだということを
かみさんとふたりで感じています。

~ 病からの学び ~ 終わり


その後、奥さんの体調は大丈夫なんですか?

この話しを読んだ方に、ときどき聞かれますが、
おかげさまで、以前より元気にやっています。

無理はしないで早く寝る。
何があっても昼寝もする。

「子供達が20歳になるまでは生きていたい」を合言葉に、
毎日を過ごしてきました。

2人とも20歳を超えた今は、
孫の顔を見るまでは・・・。

あたなより先には死にたくない、
などとと言っております。( ̄▽ ̄)

成人式の前撮り

やすらぎへの道・5「新館への想い」へ>>

“やすらぎへの道・4「病からの学び」” へのコメントが 1 件あります。

  1. 竹間智子

    大沢先生、前半部分は、涙して読ませていただきました。後半は、写真とともに大笑いです。女性って強いですね💖そして、家族って素晴らしいですね🕊🌿🌿🌿ありがとうございました💐

コメントをどうぞ