やすらぎへの道のり 「その1」

今回からしばらく私がなぜやすらぎの里のような施設を始めたのか、その経緯をご紹介させていただきます。
私は岩手県の北部の海岸沿いの小さな村で生まれました。
実家は小さな食堂を営んでおり、それと合わせて、自分たちで食べるための米や野菜を作っています。
卵を得るための鶏や、毎日飲み切れない程の乳を出すヤギも飼っていて、漁期にはウニやアワビ、昆布などの漁に出ることもあります。
また、代々受け継がれてきた山もあり、冬の間、暖をとるための薪を手に入れたり、季節には山菜やキノコも採れる。
まだ、祖母は現役で、味噌や豆腐を作ったりしており、生活のかなりの部分を自給して暮らしている。
子供の頃から必然的に鶏やヤギの世話、時期になると田植えや稲刈り、漁の手伝いは、勉強よりも大切な仕事としてやらなければいけなかった。
小さい頃の私はそんな田舎での生活を決して喜んでいたわけではなかった。
むしろできるだけ早く都会に出て、都会での生活に憧れを抱いていた。
高校を卒業するとすぐに東京のスーパーに就職し、憧れの都会の生活を始めた。
もともと食べ物に興味があったので、魚や果物、野菜を扱う仕事は楽しかった。
仕入れで築地市場に行き、買い付けをする仕事は特に好きで、自分から進んで引き受けた。
朝が早くみんないやがるのだが、日本いや世界中から集まる野菜や魚を見て、売れるかどうか考え、値段を交渉し買い付けるのは、会社のお金で博打をしているような気分だった。
そんな仕事をしているうちに、食べ物の素材を選ぶプロとしての目が養われた。
もともと岩手の三陸の生まれで、常に新鮮な食べ物が手に入っていたことや、実家も食堂をしていたので、食材を選んだり、料理したりするのは好きだった。
今思えばその頃はずいぶん美食に明け暮れていた。
何せ素材だけはいいものを食べることが出来たので、肉でも魚でも野菜でも果物でも仕事と称して食べまくっていた。
食べ物を扱う仕事はそれなりに楽しいものではあったが、しだいにもっと何か違うことがやりたくなった。
とはいっても特にやりたいことがはっきりしない。
なにかもっと自分が打ち込める何かがあるのではないか。
もっといろいろなところを見てみたい。
そうして自然に興味が海外へと向かい始めた。

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