「養生ブログ」養生断食の意義 

病気の原因については、単に肉体的なものや生活習慣に起因するものであれば、原理的にその原因を取り除きさえすれば治りますが、往々にして精神的なものや、さらには先天的なものも含む複合的なものであって、ゆえに、病気でないことが絶対的な善であり、病気を排除すべき悪と決め付けることの無謀さをまず確認しておきたいと思います。

その上で、健康であることを考えたとき、単に病気でない状態ではなく、たとえ病気であっても、実現しうるものだと思います。

健康になるために、病気を治すために、「今」を犠牲にするあり方もある中で、僕は最近とみに、健康とは「今を上機嫌に生きる」その一点に尽きると考えるようになりました。

断食においても、自分を痛めつける単なる苦行になってはいけないと考えます。

断食後は言うに及ばず、断食中もなお幸せを感じられるあり方が求められるということです。

実際、断食をする多くの方を拝見してきて、断食が人生好転の契機となる方の共通点は、病気に対して他罰的でなく、断食やその他の療法に対しても依存的、受動的な態度ではないということです。

断食に臨んで、あるいは、歩くことでも、施術を受けるにあたっても、今、自分は「体に良いことしている」と信じて行っているのです。

この「体に良いことしている」が常に鳴り響いている体というのが、僕の考える「上機嫌」であって、何をするでも肯定的、主体的、積極的な態度を養うものです。

病気治しに邁進するあり方として、今を犠牲にして輝ける将来を獲得しようと、自分に試練を課し、また外部の環境に原因をもとめ、それをことごとく排除していくような態度は、自力によって運命を切り拓いていくという意味で、尊い行いなのですが、およそ大多数の凡夫には、到底及ばない苦行とも言えるわけです。

そこで、普段通りの俗事、生業を営みながらであっても、心身の求める気持ち良さを味わいながら「体にいいことしてるな~」と思い続けるということは、自分も、それを取り巻く環境に対しても肯定的な態度の表明であって、おのずと生命の働きが勢いづいてくるということができます。

反対に、何かにつけて「体に悪いことをしている」「私はどうしてダメなんだろう」が鳴り響いている体というのは、どんなことをしても生命の働きが減退こそすれ旺盛になることはないでしょう。

特に断食施設などの非日常的で、そして同じ志向をもつ者が集う「場」の力が一層、相乗効果となって、みるみる心身を好転させていくのでしょう。

それは即座に血圧に表れ、体重に表れ、なにより笑顔に表れてくるものです。

その成功体験が励みとなって、ますます肯定的な言葉と感謝の念が常に鳴り響いてやまない上機嫌な心身が作られていくことでしょう。

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