やすらぎの手当法

養生館では、専門スタッフによる施術のほかに、ゲスト同士による「やすらぎの手当法」を行う時間を設けています。

僕は学生のとき、自分の身体の動かし方や、身体の感覚を探求していた時期があり、そのときに出会った「原初生命体としての人間」ほか、野口三千三の一連の著書群には大変感銘を受けました。

野口三千三はこのように述べていました。

『肌と肌の触れ合いが、どれほど人のからだを癒すだろう。愛情が導く指、手、腕全身のからだの動きが、どれほどお互いの疲れを癒すだろう。悲しいとき、辛いとき、疲れたとき、悔しいとき、嬉しいとき、愛しいとき、からだとこころが一体になった和合は生きる醍醐味だ。』

後に僕が指圧の道を志したのも、今こうして、みなさんと肌と肌の触れ合いを分かち合おうとしているのも、原点はここにあるのかもしれません。

晴れの日もあれば雨の日もあるように、体調がすぐれず、心細くなるときがあるのは、ごく自然なことです。

そんな時、人のぬくもり、あたたかな手は、なにものにも代えがたい癒しです。

苦しむ者を前にして、ごく自然に、お互いの接触という行為が出てきます。

「ふれあい」であり、原初的な「手当て」です。

他力を感謝して受けることは、社会的な人間としての基本とも言い換えることができます。

もちろん、他力だけに頼らせて、しがみつかせるようなあり方は、本当の他力ではないでしょう。

その手が、いたわり、ねぎらい、励ますことで、その人の自力を呼び起こすような他力を与えることこそ、手当ての真価が発揮されることでしょう。

「自分だけ健康になればいい」というような、独りよがりな人間をつくる他力であってはならないということです。

自力の限界を知り、他力の恩恵を受けることで、感謝の気持ちが生まれ、おのずと他人を助け、癒そうという愛情が生まれてくるという好循環の中にこそ、人間の健康の源泉があるのだと思います。

野口三千三はまた、このようにも述べています。

『大事に触れるということは、自分の中身全体が変化し外側の壁がなくなって、中身そのものが対象の中に入り込もうとすることである。そのことによって対象の中にも新しく変化が起こり、外側の壁がなくなり、中身そのものが自分に向かって入ってくる感じになるのである。そして自分と対象との中身がお互い交り合い溶け合って、自分と対象という対立する二つのものはなくなり、あるのはただ文字通り一体一如となり、新しい何ものかを生みだす反応が今ここに起こりつつあるという実感がある。』

世界を見渡せば、憎しみや恐怖にあふれ、目を覆いたくなることばかりです。

だからこそ、今、目の前にいる、いちばん身近な人に、手を当てたいのです。

それこそが唯一、世界平和へとつながる道だと信じて。
小針

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