話せば長くなりますが…

個別面談

僕自身のことを書いてみようと思います。

「職業は何ですか?」

問われるたびに、首をかしげていました。

あん摩マッサージ指圧師?
ヨガ講師?
断食屋さん?

「会社員です。」

あながち間違っていないし、無難なので、こう答えたこともありました。

断食施設に勤めていると打ち明けて、好意的に受けとめてくれる方ばかりではなく、怪しげなカルトか、危険思想家であるかのように、白眼視されたこともありました。

今でこそ、断食は、雑誌やテレビなどで取り上げられ、自宅で週末断食する若い女性も増え、認知されつつあります。

しかし、断食施設となると、従来の「断食道場」のイメージが強く、怖いところ、あやしげな宗教ではないかと、不安に思われ、敷居が高くなっているようです。

だからこそ、自分とは何者なのかを、ここであきらかにしておきたいのです。

【僕の手に触れるぬくもり、はかない生命、もう少しだけ】

指圧学校から帰る道すがら、携帯にメールが来ました。

母からでしたが、祖父が転倒し救急車で病院に運ばれたとのことでした。

僕はその足で病院に向かいました。

集中治療室にいるというので心配しましたが、幸い意識を取り戻していました。

傘をさし、買い物の荷物を持っていたせいで両手がふさがり、顔面から地面についてしまったようです。

顔面は腫れ、画像診断によると脳内に出血が認められるとのことでした。

さらに今回の転倒によるものではない過去の脳梗塞の跡が数ヶ所と、加齢に伴う脳の萎縮が判明しました。

祖父とは会話することができましたが、脳内のことだけに予断を許さない状態です。

僕は指圧の道を志す前に、相次いで曾祖母、祖母を亡くしました。

曾祖母は認知症、祖母は末期の癌でした。

認知症の曾祖母は老人ホームに入ってから、どんどん記憶が失われ人格が破綻していきました。

明治生まれの江戸っ子でやさしい曾祖母は、近くに住んでいたこともあり、僕が赤ちゃんの頃からずっと面倒を見てくれました。

「ひいおばあちゃん子」を自認していた僕でしたが、そんな曾祖母を直視できず、またどこか怖いような気持ちになってしまい、晩年は疎遠になってしまいました。

今でも悔やまれます。

病床に伏せてからも器具に囲まれ、無理やり呼吸させられ、生かされている曾祖母を見て、現代医学の生命観と家族の死生観に疑問を持ちました。

それとは裏腹に、今まで大好きだった曾祖母の手を触れてあげることも、恐ろしくてできませんでした。

そんな自分の不甲斐なさを憶えています。

祖母も末期の癌で人工呼吸器や点滴などに囲まれ、ただ無機質な病院のベッドで亡くなりました。

どうしてもっと心身に寄り添い、手を握り、触れてあげなかったのだろう。

後になって、臆病で薄情な自分を嫌悪しました。

指圧の道を志した理由の一つには、そうした曾祖母、祖母に対する罪滅ぼしの意味があるように思います。

知識を身につければ、その恐怖がなくなり、気持ちをそのまま体現できると思ったのです。

僕はその日、勇気を振りしぼり祖父の足を指圧しました。

祖父は「疲れないか?」と気遣ってくれました。

もう過去のことは取り戻せませんが、曾祖母と祖母にあやまる気持ちで、そして祖父の回復を祈って夢中で指圧しました。

気づくと祖父は気持ちよさそうにウトウトしていました。

僕は自分の命が続く限り、手ひとつ握ってあげられなかった時の不甲斐ない自分を思い出し、指圧をしていくのだろうと思います。

街場で元気な人を相手に指圧をしていると忘れてしまうものがあるようです。

死が肉迫する現場に立って、僕は気づかされました。

これから誰に指圧する時も、尊い生命と接しているのだという気持ちを忘れないようにしようと思います。

【僕を突き動かすもの】

指圧専門学校の新卒でやすらぎの里に就職するのですが、それまでに、多くの健康関連の書籍に目を通しました。

そこで断食療法にも出会うのですが、他のどんな健康法よりも本質的であるとの直感から、迷いなく、断食のオーソリティ大沢剛先生が主宰する、やすらぎの里に就職する決意をします。

やすらぎの里に勤めてからも、健康法を求め、健康観を思索し、ことあるごとに言及してきました。

思い返してみれば、それには理由がありました。

ただいたずらに、ペダンチックにもてあそんでいるわけではないのです。

いわずもがな、単に自分だけ健康で長生きしたいなどという手前勝手な論理でもありません。

幼少期までさかのぼります。

僕は東京の下町に生まれ育ちました。

土地柄、戦争の名残を肌身で感じることができました。

それは東京大空襲(1945年3月9日未明)で親族を亡くし、またその壮絶な体験談を祖父母に聞かされて育ったということもあります。

また幼少期、反戦思想のコミュニティと接する縁があって、一層戦争に対するえもいわれぬ恐怖感が植えつけられていきました。

焼夷弾が無辜の市民に向けて投下される映像、原爆に被爆し全身ケロイドを負った人々の写真など、目にする機会が多かったといえます。

いつしか僕は心細い夜の寝床で「今、戦争が起こったらどうしよう」「突然空襲が来たらどうしよう」そんな思いに駆られるようになりました。

周囲から見たら幼稚な妄想だと思われるでしょう。

しかし、その当時の僕にとっては切実な悩みだったのです。

大学で国際政治を専攻したのも、常識で納得させても、地下水脈でうごめくような幼少からの不安を解消するためだったのかもしれません。

そして大学で学んで気づいたことは「何の理由もなく戦争は起きないこと」

一方で「人類の歴史は戦争を繰り返し、今もなお惨劇が止まないこと」

幼少から引きずっていた無知による稚拙な恐怖感は取り除かれても、あまりにやりきれない現実に対する愕然とした思いが残りました。

政治システムで平和を構築しようとする人類の試みも学問的に知ることができました。

しかし、いまだ実現されないのは政治の担い手が紛れもなく人間であって、その人間の心にこそ原因があるのではないかと気づき始めるのです。

いかに反戦平和を望む人がいても、戦争を好む人がいれば戦争へ突き進んでしまう。
欲望や利権にまみれた現実から逃避するように、人並みに享楽的なキャンパスライフもたのしみました。

一方で、ストイックに、平和に対し一見逆説的な武道を通して、平和のあり方を学んだりもしました。

そんな折、この言葉に出会うことになるのです。

「平和の問題は必ず食の問題にぶち当たる。平和のメロディーは食生活の中で鳴っているんだ」

食養家、桜沢如一の言葉でした。

今の今まで食に無頓着で悪食を極めていた自分がいました。

だからこそ身にしみる真理でした。

本質に迫れば、人間の心に尽きる。

そして、その心を穏やかにもし、険悪にもするもの。

それは日々の生活で欠くことのできない絶えざる食の影響力でした。

「人間にとって自然なあり方とは何か?」

この疑問が僕の原動力であり、知的好奇心の源になっているのです。

「弱肉強食」であっていいはずがない。

野生の動物がそうであったとしても、人類だけは調和と共生のうちに気高く生きてほしい。

そんな願望に近い祈りが、僕の心を突き動かしているのです。

現在、つかの間の非戦時を享受している日本。

先人の悲劇の上に築かれた繁栄。

はたして人類は何を学んだのだろうか。

同じ惨禍を繰り返さないために。

口はばったいですが、僕はこの身を通して「愛」に至る道程を切り拓いていければと思うのです。

【苦しみの数だけやさしくなれる】

青雲の志をもって、治療家として歩み出したのはよかったのですが、あるとき、同業者から「あなたは治療家としてふさわしくない、向いていない」と揶揄されたことがありました。

何を隠そう、僕の持論は「職業治療家の撲滅」ですから、世間一般で言う「治療家」の方々からは煙たがられているのかもしれません。

そんな僕が今考える「治療するということ」

病気は大きくふたつに分けられるでしょう。

単純に過労や生活習慣に起因する病気と、先天性のものや遺伝病です。

前者は心がけ次第で、回避でき、改善もできるものです。

後者は避けては通れない病気であり、本人のあずかり知らないところに起因するもので、本人の力ではいかんともしがたい病気です。

遺伝子の性質上、あるいは過去生から現在に至るまでの、因縁やカルマによるものなどと、説明できるかもしれません。

いずれにしろ、治らず一生添い遂げることになるか、ある時期が来て治るものもあるでしょうか。

これを降りかかった災難と受け止めたらあまりに不条理です。

ここで人間の英知、宗教哲学の意義が立ち上がってくるわけです。

肉体が弱まるほどに、精神が強大になるというあり方です。

善人で人格者であっても病に苦しんでいることもあります。

この事実は、日頃の行いがそのまま健康を保証するものではないということです。

むしろ、病気がその人を人格者にすると言い換えてもいいかもしれません。

人生の目的は人それぞれでしょうが、精神や人格を高めていくことに焦点を絞れば、病気はあながち災難でもないということになります。

「神さまからのギフト」

苦しみを味わい尽くすもよし、病気から想念を転移し、全託して生きるもよし。

自力行、他力行、道のりは異なってもゴールはひとつということです。

そして病気を必然的に与えられた必要な試練と受け止めれば、治療家の言う「治してやる」があまりに無理解、且つ一方的な、ありがた迷惑になることに思いが至ります。

健康産業で流布されるキャッチーな文言も軽佻浮薄なものと理解されるでしょう。

治るときは治る、治るべくして治る。

「治してもらう」ではないのです。

では治療家の存在意義とはなんでしょうか。

僕なりの答えは「祈ること」でした。

同時代に生きる同志として、「お互いの健闘を祈ろう」というスタンスです。

その人にはその人の歴史があり経験があります。

そして、葛藤と学びがあります。

そのことに関して、とやかく言うのは野暮というものです。

ましてや、それを責めたり裁いたり否定したりすることはもってのほかです。

治療をするということの裏に、人を変えようとする、変えられるという誤解が含まれていることを否めません。

たとえ変わったように見えても、変えたのではないのです。

その人が変わったのです。

気づき、学びを経て、時機が来て、変わったのです。

そこにたまたま居合わせることができただけなのです。

病気がそうであるように、必要なときに必要な人が引き合わされ必要なことが起こるということです。

そのことに気づいてから、一方的に物事を押し付けたり、かくあるべしというようなこだわりがなくなりました。

自分も他人も、責めず裁かず、ゆるして愛すること。
過去を後悔し、現在を否定し、未来を憂いていて、どうして生命が輝けるでしょう。

たったひとつのこの生命に申し訳がない。

そんな気持ちをもって、まずは自分を愛し、そして目の前の人を無条件に愛す。

すると、生命がキラキラと輝き出すのを感じます。

これを治療と言わずしてなんと言いましょう。

【行住坐臥、一切の事勢、これ、最善の道場】

やすらぎの里に勤めて8年目になりました。

断食の現場で多くのことを学びました。

そこでわかったこと。

断食という行いはきわめて個人的なものです。

誰かにしてもらうものでも代わってやってもらえるものでもありません。

だからこそ、依存心を排した意識の高さが要求されますし、数ある健康法の中から断食を選択した時点で、なかば目的は達成されているところがあります。

実際、日々断食を実践される方々のそばにいさせていただいて感じることは、その真摯な眼差しに垣間見る気高い志です。

僕が断食施設に身を置くのも、自らの身体にも関わらず、それを他人に丸投げして頼りきってしまう医療行為のあり方に疑問を持ったからでした。

「さあ治してくれ」

それでは治らない、否、その心が病気を創り出しているのではないかと思うのです。

「いつでも頼ればいい」という精神構造は、ますます自分の内なる力を弱体化させていきます。

自分の内側の力を高めていく工夫を日々の生活の中で実践していく。

生きることの基本、呼吸、食事、排泄、運動、精神活動。

それらをもう一度見直し、生命の働きに沿った自然性を回復させていく。

「生活」の文字通り、「生を活かす」ということが土台になくして、万物の霊長たる人間の生命活動もないのだろうと考えます。

反対に、生活を変えず、悪癖を変えず、心の持ち方を変えないで、症状だけを消し去ってしまう。

他物に頼り、希望が叶ったとしても、それら根本的な原因に目を向ける機会を失わせていれば再発は免れないでしょう。

僕はその危険性に気がついたのです。

他者が技術的にできることは、筋肉に働きかけたり、骨格を整えたりすることであって、いわば表面に現れた二次的な歪みに対する是正です。

症状を隠して大病の芽を醸成することはあっても、原因となる働きには、単なる力学的な技術では触れ得ないでしょう。

症状や病気を「反省の機会」として、生活を総合的に見直すこと。

つまり症状や病気を敵対視し、排除すべしという発想を捨てることです。

そこに心が表れていると謙虚に受け入れていくのです。

そして、断食はまさにこの内観を促す絶好の機会だと思うのです。

断食の持つ生理的な効能は様々流布されていますが、それ以上の意義があるということです。

それはもはや医療行為の範疇を超え、宗教的な「行」と言えるかもしれません。

事実、世界の宗教が共通して断食を「行」としていることがその証左となっています。

人間存在はモノとしてあるだけでなく、心が伴っています。

その病気の原因も心を抜きにして語ることはできないでしょう。

病巣を一部の内臓に限局し、切ったり取り出したり、部品修理に終始するという唯物的な現代医学は、まるごとの人間存在を真摯に見ていくほどに、やはり片手落ちと言わざるを得ません。

とはいえ、現代医学を全く否定するのではありません。

必要な現代医学的な治療は受けながらも、その病気をつくった心や生活態度を変えていく努力を怠らないことが大切だと思っているのです。

しかしながら、長年培った癖を修正することは、一朝一夕ではいかないでしょう。

猛烈な抵抗にあうことも避けられません。

時に自分を厳しく律し、凡事徹底、実践を積み重ねていく必要性、つまり行の存在意義が時代に関わらず立ち上がってくるわけです。

生やさしいソフトなヒーリングでは得られない境涯があります。

それは時代が変わっても人間は変わらないという普遍性が裏打ちしています。

不幸としか思えない出来事を、糧として、それを活用し乗り越えていくことで、昨日の自分より今日の自分が向上していくこと。

そこに喜びを、ひいては生きる意味を見出していくあり方です。

僕には幸いにも青春時代に、全身全霊で打ち込める「道」がありました。

合気道です。

肉体と精神を横断するそれは、深い思索を求められました。

投げつ投げられつ行われる稽古は、ただひたすらに心を込めて繰り返されます。

試合のない合気道は、お互いを活かし合うことに専念し、今この瞬間を二人にとって最高の時間を創り上げようとする気概があります。

そうした愛のエネルギー、合気がほとばしる稽古は、開祖植芝盛平大先生曰く「稽古は愉快に実施するを要す」

もはや殺伐とした旧来の闘争術を超越した、生命が喜ぶ“楽しさ”があります。

中でも合宿での体験が、僕のその後の志向を決定付けました。

1週間の日程で、午前と午後、夜間にそれぞれ2時間の稽古があります。

三度の規則正しい食事があり、下級生であれば道場の掃除から食事の配膳、洗濯、風呂の用意など休むまもなく動き回ります。

死んだように眠り、また次の朝が来る。

早朝マラソンに出て、朝食にありつく、午前の稽古が始まる。

息も絶え絶え全力を出し切る汗だくの稽古です。

そんな一週間は日に日に衰弱していくかといえば、その逆が起きてくるのです。

完全な空腹の後の食事のおいしいこと、くまなく消化吸収された残滓は程よい固さとボリュームをもって、なんのためらいもなく気持ちよく出ていきました。

その一週間には完全な消化吸収、完全なエネルギー消費、完全な呼吸、完全な睡眠がありました。

体力がみなぎり、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じました。

「今を生きる」人間が最高度にその真価を発揮するのです。

純粋な向上心が結晶化したような時間、まばゆい光を放つ場所でした。

全日程を終え、帰りのバスの中でいつも思うことは、こんな生活がずっと続けば、どれだけ健康に、そして超人的になるだろうかと。

次第に増えていくビルのネオンを車窓から眺めながら、俗な娑婆に帰ってしまうことのもったいなさを感じていました。

とはいっても娑婆に戻れば人並みにジャンクフードを食べ、煩悩多きキャンパスライフを少なからず謳歌していたわけですが…

しかしながら、人生のモラトリアム期に俗と聖を見渡せる場所に立っていたことが、その後の人生を形作る要素になっていることは間違いないでしょう。

「道」そして「行」の素晴らしさを、多少知ることができた者として、今後はそれを伝えていきたいと思っています。

「断食道場」とは使い古された言葉ですが、「道場」のもつ意味は失われてはいないでしょう。

むしろ本質はそこにあるように思うのです。

人間のもつ純粋素朴な宗教心というものを隠蔽することはできず、そのはけ口となるものが現今流行するお遍路であったりパワースポットとなるのでしょう。

考えてみれば、心身に向き合う場を提供するやすらぎの里は、現代の駆け込み寺といっても過言ではありません。

より本質的な寺の機能を継承しているとも言えます。

断食をするとひもじくなって切なくなる。

家族のありがたみを感じたり、生かされていることを理屈ぬきで感じ、感謝の念が沸き起こってきます。

これは宗教の目指すべき境地にほかなりません。

絶えず襲う空腹感や刻々と変化する身体の状況を逐一つぶさに知覚せざるを得ません。

これはまさに瞑想そのものでもあります。

つまり断食は自動的に瞑想へ誘導する方法なのです。

絶食療法として心療内科で盛んに利用されるのも、体のデトックスと同時に心のデトックスがはかれるからなのでしょう。

沖正弘の創始したヨガは、「求道ヨガ」と呼ばれたように、生活全般をすべて「道」にできる感性を提案しました。

インドのヨガに東洋哲学や禅のエッセンスを取り入れた「求道ヨガ」は単にポーズをとるだけの形骸化したヨガではなく、ボディ、マインド、スピリットを包括するホリスティックなものです。

生活そのものを「行法」ととらえるところに特徴があります。

お風呂に入るのも入浴行法、寝るのも睡眠行法。

生活そのものを真理探究の方法にするということです。

つまり人間としての自然性を求め行じていくことです。

例えば朝目覚めたとき、合掌してこの誓いの言葉を唱えます。

「目覚めの誓い」
ただいまわたくしは、目覚めさせていただきました。
目覚めたということは、生きるに充分な体力の与えられていることであります。
わたくしは今日一日、あらゆることに全力を出し切って生きることを誓います。

食事をいただく前には

「栄養摂取の誓い」
栄養は、自分によいものを取り入れ自分に悪いものをいれず不要なものは出しきることであると知りました。
自分取り入れて良いものと悪いものを知っているのは身体自身にあたえられている智恵であると知りました。
今からの私は、自分の内在智の教えに従って自分に適し、自分に必要なものを取り入れ不要で不適なものは出しきるよう努めます。
いただきます。

そうじの前には

「清掃行法の誓い」
ただ今から私は、清掃行法を行わさせていただきます
この行法を通じて、心と生活の清めを誓います。
清い心とは求めない心です。
他に自分を捧げる心です。
一切のものに感謝する心であります。

実際やってみると、言葉の力は侮れないと思いました。

最初はばかばかしいと思っていても、合掌して声に出してみると、物事にとりかかるまえにスタンスが決まります。

スジが一本通り、しっかり腹が決まると、主体性、積極性が増し、ただ苦痛でしかなかった雑務も、そのまま修行法であり鍛錬法であり健康法になりうるのです。

これは単なるおまじないではなく、潜在意識を開発し、理にかなった自己コントロール法といえるでしょう。

なんとなく、スタンスが決まらず、これといった信念もなく、漫然と物事を行う。

これほどつまらなく自他共に非生産的な生き方はないでしょう。

人間が人間らしく最高度の輝きを増す瞬間は、人間としての道を歩むという気概を持ち、常に前を向いて進むときなのだろうと思います。

戦後、伝統的な価値観が失われ、外来の価値観に染まった日本。

ここに来てなんだか足元が心細くなって、生きる力を失いかけているのが現代人ではないでしょうか。

先人の叡智を踏襲しつつ、現代にふさわしい道があるにちがいありません。

高度な文明を経て帰る場所は、修飾を排したより本質的な人としての道なのかもしれません。

【来し方行く末】

今こうして振り返ってみると、養生館へと歩みを進めていくことは、必然的に思えます。

高校、大学と武道に専心し、人間の身体について関心は深めていましたが、それが今こうして実を結んでいると思うと、つくづく人生に無駄はないのだと思います。

ついでに言えば、フリーター時代、ビルの警備員をしていたのですが、立哨という、ビルの玄関などでただ立って警戒するのを1時間、日に3回行っていたのですが、今思えば立禅、瞑想そのもの、浅慮な僕を神様はこうして導いてくれたと思うと、ただただ頭が下がるばかりです。

在学中、街場の治療院に勤める中で、様々な思いや葛藤を抱いているとき、たまたま大沢先生の著書を読み感銘を受けたことで、やすらぎの里で働きたいという思いが強くなりました。

まもなく求人広告を見つけましたが一足遅く、問い合せてみると、すでに数人の採用が決まり、もう募集をしていないということでした。

僕は不躾にも、大沢先生の考えに感化されたこと、やすらぎの里以外の選択肢がないことなどをしたためたメールを半ば強引に送りました。

そんな暑苦しい思いを受け止めてくれたのかどうかわかりませんが、「履歴書を送っていいですよ」と返事をいただきました。

まもなく、面談もかねて様子を見に来てはどうかと、一泊招待もしていただきました。

まだ20代そこそこの、経験の浅い若輩でしたから、切り捨てて当然だったのだと思いますが、なんとか補欠要員として採用していただける運びとなったわけです。

そんなおまけみたいな僕でしたが、気づいてみると同期はことごとくやめてしまい、一人残って今では古株のような顔をしています。

なんだか気の抜けたスタートでしたが、かえって肩肘張らなかったことが息長く勤める上で良かったのだと思います。

そんなこんなで、日々大沢先生の一番近くで、その背中を見て、思いや言葉に触れ、普段は気恥ずかしいので表にはあまり出しませんが、今でも感謝と尊敬の念は尽きることがありません。

誰よりも身近で、そして永きに渡り薫陶を受けた直弟子、一番弟子を自負している僕が、やすらぎの里の魅力を一言で言えば、大沢先生の人柄、これに尽きると思います。

治療家として、キャリアを積んでいけば、それなりに自信と確信に満ちてくることでしょう。

周囲に慕う人や治りはじめる人が増えてくるにしたがい、自分の技術はすごいんだ、自分が治しているんだと思い始めるものです。

次第に不遜、威圧的な態度や言動になってくるのを、貫禄や権威があるのだと見間違ってはいけないでしょう。

病気の原因は単純なものではなく、病気が治ることも肉体的な技術論で説明しきれないことを、身をもって知る者ならば、自分の周囲が治り出すということは、たまたま治るタイミングの人が集まったに過ぎないと考えるでしょう。

それぞれが人生において様々な経験を経て、気づき学ぶ中で、進化、向上していくことで、病気が必要なくなり、治癒という卒業を迎える時機に、お互いに、ただその場に居合わせたに過ぎないということなのです。

極論を言えば、病気とは自分の中で解決される問題であって、誰かに治してもらうことなどできないのです。

反対に、人を治してあげることもできないわけです。

治療家という職業に存在意義があるとすれば、その事実を知り、技術という愛と共感を表す方便をもって、人に安心感を与えることに尽きるでしょう。

結局、生身の人間と人間の交流、つまり理論や技術を介した肉体次元のみの部分的な交流でない、全人格的な交流を通じて、本当の意味での癒しと「やすらぎ」があるに違いありません。

虚飾に惑わされず、虚勢を張らず、ひとりの人間として真摯に、時にざっくばらんに向き合える場としての「やすらぎの里」の発展に、微力ながら力を尽くしていきたいと思っています。
小針

“話せば長くなりますが…” へのコメントが 1 件あります。

  1. 石原 澄子

    読み始めましたら、終わりまで一気に読ませて頂きました。たくさんの事、考えさせられました。
    やすらぎの里で過ごさせて頂いた日々を、今、懐かしく思い出しています。
    夫と、娘と、妹と、友人と、伺いましたのは数回ですが、いつも心の中は機会があればまた伺いたいと思っていました。夫も私も年齢が増しました。
    今は、ふたり穏やかな日々を過ごしております。
    どうぞ、養生館の益々のご発展を祈っております。

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