やすらぎの里養生館

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養生ブログ【他力という力強さ】

怒りっぽい人は○○病になる。
ひがみっぽい人は○○病になる。

こうした断定は、なんだか最もらしい分析のようですが、考えてみれば、弱った病身に鞭打つ残酷さがありはしないかと思うのです。

深刻な病状に苦しんだ経験のある人ならわかると思います。

病気は誤った生き方の罰と決め付け、頭による知識だけで、一方的に病気を理解しようとすると、どうしても病人を責め裁く方向に向かっていきます。

これは因縁因果の捉え方になると思いますが、自分にも、他人にも、それを適用させることが、果たして病気を治すために有益と言えるでしょうか。

指摘されて即座に自分の心を変えられ、病気も治れば万々歳ですが、自分の心というものは、よほど上根の人を除いては、それほど容易に変えることはできないし、ましてや先天的な病気であったり、病気が治らなかったり、治ったと思ったらまた違う病気になったりしたときに、自分はなんてダメなんだ、どうしていつまでも怒りや不安が消えないのか、とますます絶望と自己否定につながってくると思うのです。

病因を端的に示すことで反省を促すことは、一見して有意義なように見えますが、原因に対して、あまり詮索しすぎず、むしろ病気から心を離して、さっぱりとした心境でいた方が、よほど健康的ではないかと思えるのです。

病気の原因を断定し、個別具体的に「これが悪い」というのは簡単です。

しかし、これは周囲を敵だらけにすることであり、自分さえも敵に回して、これが果たして心身の安寧=生きやすさ、を保証することになるでしょうか。

反対に、自力ではどうにもならないのだとあきらめて、いっそ他力にゆだねる方法があります。

それが「おまかせ」の宗教心であり、「拝む心」の信仰というものでしょう。

周囲に愛が溢れていると信じることで、世界も自分も肯定的に見ることができるようになります。

自分をゆるし、他人を責めず、病気を含めすべての出来事は、必要あって現れているのだとすら思えるようになれば、生きて良し病んで良し死んで良しの安心立命が得られることでしょう。

「自力」を過信することよりも、「他力」に感謝すること。

「他力」を受け入れるということは、自分の非力さを潔く認めることでもあります。

それは今まで自力で力強く生きてきたと自負する人にとっては勇気のいることでしょう。

甘え、怠惰を自認するようで、受け入れられないかもしれません。

しかし、本当の力強さとは、常に「他力」の恩恵にあずかっているという絶対的な安心感から醸し出される「自力」を言うのではないでしょうか。

短絡的な因果論を超えて、絶対他力の易行道へ、いざ!

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