闘わない生き方

「病気の原因がわかれば治せる」

そうかもしれません。

「あなたのその神経質な性格が病気の原因です。
不必要な緊張が体を蝕んでいます。」

こう言われて、「はい、そうですか」と自分の性格を即座に直せるのであれば、話は単純でしょう。

どんどん治してしまいましょう。

そう簡単にいきますか?

まだ見ぬ理想の自分を目指して、節制と禁欲の日々。

「今の自分ではダメだ」というところから出発して、そこから脱却するということ。

やり遂げられる人は、よほど意志の強い優等生でしょう。

辛い症状で悩まされるよりは、努力する方がよっぽど楽だと、人は言うでしょうか。

経験上、長く症状を抱えていれば、心身ともに消耗していて、わかっちゃいるけどやめられない、やろうと思っても気力も体力もついてこない、意志の力ではどうにもならない状態だってあるわけです。

それを甘え、怠慢と断罪するでしょうか。

劣等生の僕が考える養生とは、原因を追求し、それに対処する方法ではなく、原因を追究せず、今のままで良いから、この瞬間から心地良くなろう、ということなのです。

最初のうち、できることはほんの些細なことかもしれませんが、それで十分です。

一般的に体に悪いと言われていることでも、自分が心底楽しくて、心も体も喜ぶことであれば、やればいいと思うのです。(もちろん合法的なことですけど)

どんな人でも必ず死にます。

僕は定められた寿命というのは、ある程度あると思っています。

悪事の限りを尽くして長命の者もいれば、陰徳を積む善人が、あるいは、なんの罪もない幼子が短命ということは、往々にしてあることです。

自暴自棄になって死期をいたずらに早めることはありませんが、多少長引かせたところでなんの意味があるのだろうと思うのです。

人生観、死生観が問われています。

病気を敵視すれば、病人を見下すことになります。

長寿を是とすれば、短命、夭折を不幸と決めつけることになります。

それならば、病気を引き受けて、そのまま、今この瞬間から、上機嫌になればいいのです。

つまり、自分も他人も世界も、そのまま認めるということです。

そして、運命に身をゆだねることです。

辛い時には薬を飲んだっていいし、手術を受けたっていい。

死ぬときは死ぬ、必要ならば生かされる。

無知で妄信的な生き方でしょうか。

楽しいことも、辛いことも、両方あって人生と認めてしまうことは、結局、死んだ方がましと思えるほど辛い症状に襲われても、なお生かされている生命に光を見出すことができるようになるということです。

天国に行けます、否、もはやこの世が天国です。

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