「静寂」という「やすらぎ」

養生館では、プログラムとして瞑想を取り入れています。

屋上には瞑想空間を設け、思い立ったら、いつでも瞑想できるような環境にしています。

客室内にはあえてテレビを置かないことで、一人でも、じっくり瞑想に取り組めるようにも配慮しています。

僕自身、いろいろな養生法、健康法を学んできましたが、ここにきて瞑想に導かれたのも、いよいよ本質に迫ってきたといえるかもしれません。

養生館オープンは3月なので、まだ実際に稼働していませんが、養生館は「静寂」そして「無為」による癒しの場となることを確信するようになりました。

野口晴哉は、手を当てるときの心構えを「天心」と説きました。

『無心になってポカンとすることを天心と言う。大空がカラッと晴れて澄みきったような心だ。利害得失も毀誉褒貶もない。自分の為も、他人の為も無い。本来の心の状態そのままの心である。』

エックハルトトールは、「いま、この瞬間」にあることの大切さを説いていました。

『ただ、いつもそこに存在していながら、たいていは、思考の雑音によってかき消されている静寂の空間に、心をひらく。それだけでいいのです。「わたしは在る」と考えるかつぶやき、あとは何も付け加えない。そのあとに続く静けさを感じ取ろう。強烈に「今に在る」時には、何もしないこと自体が威力を発揮し、状況や人々を変化させたり、癒したりすることがあります。』

より良い方法が、答えが、外側にあるものと思って、探し求めてばかりいました。

いつまでたっても満たされない思いは、さらに貪欲になっていきます。

無間地獄のような苦しみ。

ここは「やすらぎの里」です。

「やすらぎ」は自分の中に、すでにあることに気づくのです。

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